お知らせ
NEWS
大ちゃん先生コラム
2024.05.07
認知症とは、何らかの病気や障害などによって、記憶力や判断力が低下し、日常生活に支障をきたすようになった状態のことです。しかし、実際にその状態を目の当たりにしなければ、その恐さはなかなか分からないもの。今日は、つい最近までお元気だった、とあるおじいさんについてお話しします。
「こんな朝早くに、今日は何事ですか?」
あれは夏。朝からとても暑い日でした。ランニングシャツ一丁のおじいさんは、麦わら帽子をかぶり、庭木にホースで水をかけていました。家の敷地に車で入ってきた私を、おじいさんは不審がっているようで、表情は真剣そのもの。私はちょっと戸惑ってしまい、うまく冗談で返すことができませんでした。その日は公証役場に行く当日。公正証書遺言を作成しに行くまさにその日だったからです。
「お父さん!準備もせずにそんな格好で何をしているの?今日は役場に行く日でしょう?」
玄関からバタバタと出てきた娘さんが声を上げると、おじいさんは頭をポリポリと書きながら「ああ、そうだった、そうだった」と一言。にやっといつもの笑顔になられました。
しかし、「最初に私にむけた冷たい表情」と「いつもの明るい笑顔」との間にある落差のすさまじさは、なかなか言葉では表現できません。
娘さんは顔を真っ赤にして私に頭を下げました。
「すみません。ついさっき、朝ご飯を食べながら、もうすぐ迎えが来る話しをしたばかりなのですが…」
ご家族は、私よりはるかに長い時間、おじいさんと接されています。戸惑い、悲しみ、あきらめ。娘さんの顔にも、とても複雑な感情が浮かんでいました。
遺言書の作成について、作成したいと望まれたのはおじいさん本人でした。娘からのお願いでもなく、専門家からのおすすめでもなく、おじいさんの強い意志。打ち合わせの際、とにかくすごかったのは「筆記」です。持ってこられたノートに、事細やかに、一言一句ぎっしりとメモを取られていました。
「書いておかないと、忘れてしまうから。これが性分なのですよ」と笑いながらおっしゃっておられたものです。
しかし、おじいさんは忘れてしまいます。「メモを取った内容を忘れてしまう」ではありません。「メモを取ったこと自体を忘れてしまう」のです。「記録力」はあるのに、「記憶力」はない。これも大きな衝撃でした。
私も、とにかく真面目にメモを取られるので、「熱意がある。きっと理解も早いだろう」という印象でした。しかし、それが思いこみであったことに気づいた時の驚き。あんなにメモを取られていたことが、次の面談の時にはまったく残っておられない。この恐怖というか、空虚感。これも、なかなか言葉にはしづらい体験です。
そのおじいさんは、一度思い出しさえすれば、遺言作成は全く問題ありませんでした。公証人が遺言を伏せて行う「だいたい、どんな内容か教えてください」というやりとりもクリア。署名と捺印を行い、「良かった、良かった。これで家族は安心だ」とにこやかに笑われ、無事に公正証書遺言作成は完了しました。
しかし、「次にお会いした時には、遺言の内容を覚えておられるかな?」と思いながら、最後のお別れをしたことを覚えています。
結局、遺言を作成した後、おじいさんとお会いすることはありませんでした。数年後、娘さんから亡くなられたとの連絡があり、私自身で滞りなく遺言を執行しました。「あなたが、元気な頃におっしゃっていた、その思いどおりに財産を分けましたよ」と、空に向かって報告しました。願わくば、天国で「そうだった、そうだった。ちゃんと覚えているよ」と笑顔で頷いていてほしい、そう願わずにはいられない今日この頃です。
ご相談は無料です
メールでのお問い合わせ
メールマガジン
秋田住宅流通相続サポートセンターニュース
相続・節税の
お役立ち情報満載
ご相談は無料です
メールでのお問い合わせ
メールマガジン
秋田住宅流通相続サポートセンターニュース
相続・節税の
お役立ち情報満載